・○○マガジンを購読し
・CSで試合をチェックし
・過去の伝説の試合を回顧し
・選手トレカでまたこいつかとダブりを嘆き
・RPGキャラを外国人選手名にし←一番お気に入り
・ちょっとした物事をスポーツで喩え
・メアドもスポーツ用語で
・マイナー選手の細かすぎて伝わらない物真似を一つは出来たり
しなければいけないのでは的な。
没ネタ
・自分の名前の付いた必殺技があり
・死後に墓前にユニフォームなどを供えられ
イチオシ
・下敷きやファイルを持ち
・サイン入りユニフォーム等を宝物にし
・背番号をラッキーナンバーにし
・名言を座右の銘にし
・ポスターを部屋に貼り何かあるとポスターの中の選手に相談し
・待受もその選手で
・子供の名前もそこから付けなければ
しないといけないのではとも感じていた。
>>1と同様に20代以降で付け加えたり誇張した部分はあるけど、やはり全体的になんとなくのニュアンスで言わんとしていることはわかるでしょ?
実際>>1と同様に当時からここまでではないにせよ、これに近いことは思っていたし…
小5って決定権も無いけど思春期反抗期になってくる時期だから、もう勝手に申し込んでは駄目…!
当初は俺も遂に1人1スポーツに出会えたと認識し、過剰に周囲に空手少年アピールしていた気はする。
山田君は野球、田中君はサッカー、そして>>1君は空手だったのか的な。
確かに初期は生き別れのスポーツと再会した感で、自分でもわざとらしいくらいに空手の本を読んだり空手の話題に過反応してもいた。
しかし小5という時期が悪過ぎたのは痛感、翌年から急に嫌にはなってきたかな。
中村君はバレー、小林君は剣道などが続く?
全体的に、なんとなくのニュアンスで言わんとしていることはわかるでしょ?
ここから闇は更に深くなる。
スポーツを上達したかったわけでもなく
スポーツで他人と交流したかったわけでもなく
スポーツで身体を鍛えたかったわけでもなく
スポーツに興味がある事実、好きなスポーツがある事実だけが欲しかった。
過程でも結果でもない、事実だけな。
結局認められているのはスポーツに興味があるかないかの個性ではなく、どのスポーツに興味があるかの個性なんだよな。
1人1スポーツ、好きなスポーツの養殖…
♪私にはスタートだったの あなたにはゴールでも
J-WALK理論万能説。
それはそれとして、それとは別に男ってだけで1人1スポーツを強要されるのって2000年代頃まで顕著で今でもあるでしょ。
一番わかりやすいのが絵かなって。
絵を言い訳にスポーツから逃げるな、的な。
(少年ボウリング教室ってあるのに、ボウリングはスポーツ認定されにくいのもやはり闇)
つーか男の子が部活や習い事に属すのが1人1スポーツ×山田君田中君シリーズの証明書だろ…
「おかしいなあ日本人なら一つは贔屓の球団があるものだよ」と言われたから。
漫画だし誇張されてはいるが、すげーわかる。
2000年頃の漫画(読んだのは平成20年代になってからだが)で当時は今とはプロ野球のあり方も違うが、そういう時代ではあったよな。
今以上に「野球好き?」ではなく「どこファン?」から入る時代。
作者は俺より19上の1970年生まれ、さぞ肩身が狭かったのかな。
見るのもやるのも興味無い
野球の延長って今思えば、残業に通ず終了時間にルーズな国民性だよな。
(開始時間すら守らない、もっと早く来いって守るとは言わない)
まさに1人1球団、好きな球団の養殖。
メガホンやら持たないと?贔屓の球団が負けた翌日は機嫌が悪くなければいけない?
実際「山田君は巨人、田中君は阪神、佐藤君は広島、高橋君は中日。それぞれが好きな球団を応援しているね!皆違って皆いいね!個性って素晴らしいね!」ありきは多々感じた。
中村君は日ハム、小林君はロッテが続く?
それだけでも大爆笑したけど、ニコニコ配信で視聴した際に
昭和なら殺されているぞwwwってコメントがあって更に爆笑。
他に趣味や特技があっても、男ってだけで強制野球少年化って昭和やば過ぎないか。
まさにスポーツファシズム。
最低1つ、だから多い分には問題ないのだよな。
山田君田中君シリーズはテンテンくんのサイダネのイメージもあるけど、実際あったでしょ?
教師:次はおまちかね、体育だーっ!
一同:わーっ!
教師:野球だーっ!
一同:わーっ!
教師:始めーっ!
一同:わーっ!
俺:ルールはーっ?
やはり1人1憧れで、アンディ・フグを憧れの存在に無理矢理仕立て上げたはず。
若くイケメンで、バラエティにも出て知名度あり名もインパクトあるアンディがたまたま引っかかっただけなのは痛感。
空手を始めて間もない8月にアンディは35歳の若さで病死したこともあり、追悼ムードが薄れるのに比例してかアンディ・フグに憧れる空手少年(但しハリボテ)はどんどん崩れていくのであった…
フーディンに攻撃力は必要ない、カイリキーに特攻は必要ない、ヤドランに素早さは必要ない。
フェローチェに至ってはHBD全不要みたいなものだろ…
いくら絵が好きであろうと上手かろうと、男ってだけで結局スポーツ>絵になってしまう。
確かクラスで俺含めて2人、担任は体重3桁だから説得力ない。
休憩時間の過ごし方を強いられるってブラック企業のパワハラなんだけど…
球技や集団競技よりはましという認識は俺も親もあった気はする。
ではなく
私の憧れはアンディ・フグです。
なんだよな。
アンディありきの憧れではなく、憧れありきのアンディ。
あくまで空手家という記号だから、他選手に置き換えても成立するレベル。
中には複数ある人間もいるし、女で1人1スポーツがある人間もいる。
男って時点で、ないわけない的な。
親の機嫌を取る為に、アンディ・フグに憧れる空手少年のフリをしていた。
父親が格闘技観戦好きだから尚更。
当時からアンディについてそこまで詳しくなかったし、スイス出身で踵落としくらいしか知らなかったはず。
初期は板が割れて嬉しかったのは事実で、やはり周囲に過剰にアピールしてもいたけど…
でも実際あったでしょ?
eスポーツなんてもってのほかだろ。いや俺自身はeスポーツ肯定派。
兎飛びや残業の国だから、成果よりやっている感。
嫌いなのは身体を動かすことではなかったのか的な。
そういうタイプの人間は、1人1スポーツ×山田君田中君シリーズも嫌だったのかなって。
スポーツの動詞はplayなんです…
今年も、僕を所謂わんぱくにしたがるタイプの父親が勝手にサマーキャンプの申込を済ませていました。
熱血指導員の「子供は海とカブトムシがだぁ〜い好き主義」による3泊4日強行スケジュールの中、僕の心の支えはゲームボーイでした。
↓
そうと決まれば空手の本を読まないといけないし、空手の話題には食い付かないといけないし、何より生活が空手メインにならないといけない
最早自己暗示というか洗脳なんだけど…
↑
自分でも気付かなかった本心にやっと気付いた的な、この時点で既におかしいのだけど…
やはりサイダネか。
好きなスポーツがある、という事実
憧れの選手がいる、という事実
うーん…
B.スポーツにだけ興味ある人間
C.全てに興味ない人間
D.スポーツだけ興味ない人間
一番カッコいいのって、何故だかAではなくBなんだよな。
一番ダサいのって、何故だかCではなくDなんだよな。
ABCD理論も汎用性が高い。
うーん…
習い事の中でも日常生活の延長線にあり、必ずしも習い事の必要はないのが水泳や料理や算盤。
金はかかるけど、ピアノさえあればピアノ教室に通う必要はないし…
一方で空手は空手教室か空手部が必須で、故に異物が割り込んでくる感が強く習い事の為の習い事感が強まってしまう。
(幼稚園や小1とは違い、小5はやはり異物が割り込む感が強い)
どこにも属さずに空手やっているなんて言っても、単なる不審者なんだよな。
水泳、算盤、料理とかなら習い事を辞めてからも継続は出来るけど、空手は辞めたら縁が切れるから尚更。
水泳なら水着やゴーグルはその辺で買えるのに対し、空手の道着や帯は手続きを経ての支給品なのもそう。
小5の秋頃に橙になり、小6の8月に青になり、それからは一切昇給審査は受けなかった。
厳密には、中学からは少年クラスが一般クラスに変わるから入学当初に少年青を一般青に受け直してそれっきりなんだけど…
緑まで行くと黒帯は見えてくるし、青までは割と誰でもいけるから黄が分岐点な気はする。
試合も小5の2月の1回だけだったはず、しかも即敗退。
中学入学後は兼ね合いから週1に減り、尚更惰性感は強まったかな。
それでもなかなか辞めさせてくれなかったということは、母親も籍があって行った事実を重視していた何よりの証拠なんだよな。
空手との兼ね合いで水泳を辞めたはずだけど、水泳の方がましでした。
多分、親が俺を空手少年に仕立て上げるべく水泳には関心が薄れていたはず。
ゴネヒスで渋々行っても時計を見るだけなんだけど…
幼稚園での習い事
公文(中2の6月まで)
体操教室(幼稚園まで)
個人塾(幼稚園まで)
水泳(小5の1月頃まで)
更に幼稚園の特別クラスと公文式の特別クラスを掛け持ち、4つ(実質6つ)は多過ぎ。
スポーツ最優先になってしまう、スポーツは消防車や救急車では無いのだけど…
スポーツに興味ないくせに、なまじ他分野に詳しかったり得意でも気持ち悪いだろ…
あとは、スポーツと両立している人もいるよね?とはなりがち。
他分野をスポーツ興味免除証明書とする場合、よほどずば抜けていないとならない。
例えば将棋をスポーツ興味免除証明書とするなら、藤井聡太レベルでやっと認められるレベルだろ。
将棋なんかにうつつを抜かしていないで、とはなってしまうよな。
もし藤井聡太と同等の将棋の才能や情熱があってたとしても、大抵は発揮する前にスポーツに塗り潰されてしまう。
あれは周囲の理解があったケースだよな。
もし魚好きを後押ししてくれたとしても、それはそれとしてそれとは別にスポーツとなってしまいがちでしょ。
さかなクンは絵も上手いけど、一般的には魚や絵を言い訳にスポーツから逃げるなともなってしまいがち。
もちろん保育士や看護師や家庭科の先生を目指してもいいよ?
eスポーツのプロを目指しても全然構わないよ?
それとスポーツは別問題だよね!?スポーツと両立出来るよね!?
とはなりがち、男性ジェンダーは闇が深い。
性転換レベルにまでならないと、結局スポーツ興味免除証明書にはならない。
戦隊の男ピンクや男プリキュアが出ても、それとスポーツは別問題なのは痛感。
やっと食べ放題コースに移行する頃には腹が膨れがち。
スポーツまさにこれ。
帰国子女が発音を恥じて逆矯正する的な。
三浦知良に憧れていて、背番号から毎月11日は特別メニューのカツカレー。
値段も三浦知良の年齢から現在\550で毎年上がる。
クレしん映画の温泉だと、敵が闇堕ちした理由は長嶋茂雄の背番号3の下駄箱を取られたからだったな。
絵に対する情熱も才能も、消えてしまうのです…
俺の場合は、絵を-100にまで下げてでもスポーツを+200に引き上げようとするのすら厭わないのかな。
絵にも興味無いのは強調、あくまで比喩。
習い事をやらせてくれなくて、試験の高得点や家の手伝いといった始める条件を提示するのはわかる。
辞めさせられそうになり、続ける条件も同様。
辞めさせてくれなくて辞める条件っておかしいよな、勝手に申し込まれたなら尚更。
水泳はスポーツとしてではなく、日常生活の一行為として習いがちなんだよな。
余程プロを目指して生活が水泳メインになるレベルとかでないと、スポーツ扱いされにくい。
あとは泳ぐという行為にどこか優雅なイメージがあるのも良く無い印象。
自転車は水泳より更にスポーツ扱いされにくい、弱虫ペダルのレベルでやっとだろ。
日常生活の一行為として老若男女が習わずに通わずに出来る水泳や自転車をスポーツと言い張るには、ハードルが上がるわけだ。
早い話が野球やサッカー(やバスケやテニスやバレー)をやらない理由になるかならないかなんだよな。
スイミングスクールに通っているだけでは、野球サッカー免除とはなりにくい。
スポーツ認定=野球サッカーと同格認定=野球サッカーをやらない理由認定
スポーツをやらせたくて空手を習わせたと母親は語るけど、長年の水泳はスポーツ認定しなかった何よりもの証拠なんだよな。
確かに俺も自身を水泳少年と認識したことも、水泳習っているアピールしたこともなかったしなあ…
柔軟化したように見えても、結局1つは好きなスポーツがある前提。
令和は男でもスポーツに興味無いって堂々と言い張れる時代でありたいな。
羨ましい